リュックの子

 ミツキの初めての習い事は、公共施設でやっている体操教室だった。1歳半を過ぎたころのことだ。

 10時半開始。15分前に到着し、背中にゼッケンを縫い付けたTシャツに着替えさせる。柔道場なので畳敷きで気持ちがいい。靴下も脱いでスタンバイ。

 初めての日、家を出る前に「今日から体操教室だよ」と言ったが、当然ミツキは何が何だかまるで分かっていない。初めて来た場所ということもあって警戒しているようで、道場の隅でちょこんと正座をする姿がいじらしい。

 開始時間が近づき、続々と子どもたちが集まってくると不安そうな面持ちで私の膝の上に乗ってしがみついた。先生がやってくると、私の首に巻き付いて密着度アップ。

 となりのトトロの『さんぽ』という曲が流れ、まずはお散歩から。40組の親子が手を繋いで円周上を一定の方向にぞろぞろと歩く。途中先生の合図で逆方向に向きを変えて歩く。しかし、ミツキは密着度マックスなので、抱っこでお散歩。その後手遊びやボール遊びなどもあったが、初日の密着度は最後まで変わらなかった。

 初めての場所、初めての習い事、初めて会う大勢の人。初めて尽くしで驚いたのだろう。それに加え、屋内という閉塞感、好き勝手が出来ない環境。自由人ミツキにとってもっとも好まないものだったと思う。しかし、泣いて抵抗すると言うことはない。だから、私は次週も連れていくことにした。そのうち慣れることを期待して。

 週に1回、3か月1クールの体操教室。初めの1か月は密着度マックス状態が続いた。

 2か月目に突入した日、ミツキに幼児用の小さなリュックを背負わせることにした。出産祝いの品だがまだ一度も使ったことがなかった。替えのおむつ一枚とゼッケン付きTシャツを入れるとパンパンになった。出掛けにミツキに背負わせ

「ミっちゃん体操教室に行くのに、自分で自分の荷物背負っていくなんて、かっこいいね。おにいちゃんになったね」

と言うと、キリリとした表情をした。

 教室に着き、着替えのためにミツキの肩からリュックを降ろそうとすると、ミツキは激しく抵抗した。

「ミっちゃん、リュック気に入ったんだね。でも、Tシャツ出して着替えないといけないんだよ」

と言うと渋々リュックを降ろし、着替えた。そして、着替え終わるとすぐにリュックを背負ってしまった。

「いやいや、違う、違う。体操はリュックを降ろしてやろうね」

 その後どんなに言い聞かせても、ミツキはリュックを降ろさなかった。『さんぽ』が流れ始めたので、仕方なく各親子が歩く輪の中にリュックを背負ったまま連れて行く。そして、しばらく歩いて気が付いた。ミツキは私と手を繋いで自分の足で歩いていた。今までの密着度が嘘のようだった。

 途中、先生が「あれ?」という視線を送ってきたので、アイコンタクトと口パクでリュックの承認を得た。

「ミっちゃん、今日は体操教室でいろいろなことできたね。平均台かっこよかったよ」

 リュックのことをツッコみたかったがぐっと堪えた。今までの密着度が治まり、好みの運動には参加できたのだから上出来だ。そのうちリュックなしでもできるようになるだろう。

 ところが、一筋縄ではいかないのがミツキだ。

 毎週毎週、頑なにリュックを背負い続けた。まだほとんどおしゃべりは出来ないのだが、そのリアクションから察するに

「やることやってるんだからリュックぐらい背負ってても別にいいだろう」

と言うことらしい。

 いやいや、よくない、よくない。誰も何も言ってこないけど、明らかにおかしい目で見ている。

 ゼッケン付きTシャツの背中には名前が書いてあるが、リュックを背負っているミツキの名前は見えない。ある日先生に

「じゃあ次、リュックの子」

と呼ばれて、穴があったら入りたいほど恥ずかしかった。しかし、別の視点から考えてみれば、もうこれからはリュックの子の母として堂々とできると腹が決まった。

 体操教室最終日の朝、出勤前の夫から高額の銀行振込を頼まれた。私は通帳と印鑑の入った小さなポシェットをマザーバッグに入れて体操教室に出かけた。施設に着いた私は、受付で館内に貴重品を預ける場所があるか尋ねた。ところが、この日に限ってロッカーが故障中で預けることができなかった。

 かくして、ミツキはリュックを背負い、私は肩からポシェット斜め掛けで体操に参加。

 完全におかしな親子である。

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