ミツキがおなかにいるころ

 結婚2年目の秋に妊娠。家の近くの産婦人科に通院することとなった。受診のたびに胎児の心音を聞いたり、エコーを使って画像を見たりすることが楽しみだった。

 妊娠35週目、久しぶり会った友人に「お腹小さいね」と言われた。30週目からは毎週受診しており、その都度順調と言われていたので不思議に思った。翌週診察室に入るなり先生に確認した。すると、先生はカルテを何度も見直し始め、診察室の前で待つようにと私に言った。

 待つこと15分。先ほどの診察室とは違う、応接室のような雰囲気の部屋に通された。

「あなたの胎児は32週目から成長が止まっています」

 先生の言葉に耳を疑った。毎週の受診はなんだったのか。急に4週間も前から異常があったと言われても納得がいかない。

「そういうことで、わたしどもの病院では低体重児の受け入れはできませんので、他の医療機関を紹介します」

 弁解も詫びもなく、どんどん事務手続きが進められていく。用が済んだらもう何も話すことはございません、と言わんばかりの沈黙が訪れた。文句も質問も山ほどあるのに、何から言ったらいいのか分からないくらい頭が混乱していた。

「胎児の成長が止まった原因はなんですか」

 なんとか声を絞り出して質問した。

「現段階では詳しいことはわかりませんが、染色体異常の場合もあります」

 染色体異常とは、ダウン症ということだ。一気に涙が溢れそうになったが、必死にこらえた。

 季節は梅雨、外は大雨だった。病院を出た途端、止めどなく溢れる涙を傘で隠すようにうつむいて歩いた。

 家に着くと、わたしは冷蔵庫を開け、すべての食材を使って黙々と料理を作り始めた。なにしろ翌日から急きょ入院することになったのだ。食材を腐らせてはもったいない。

 家に帰ってきた夫は、料理の多さに目を丸くした。夫の食事が終わり、一息ついたところで、ことの顛末を話し始めた。

「今日1日つらい思いをしていたんだね。かわいそうに。とにかく明日入院して、よく調べてもらおうよ。おれたちの子はきっと大丈夫だよ」

と夫は優しく言った。

 夫が眠った後も私はどうしても眠ることができなかった。本当にダウン症なのだろうか。私にダウン症の子どもを育てられるのか。夫に申し訳ない。互いの両親はなんというだろうか。子どもの将来はどうなってしまうのか。頭の中が不安でいっぱいだった。

 ベッドにも入らずソファーで考え込んでいるうちに、気付くと小鳥のさえずりが聞こえ、空が白み始めていた。生まれて初めて眠れぬ夜を経験した。

 ベランダに出て、空を見上げた。

「こんなに悩んだって時間が止まるわけでも、すべてが帳消しになるわけでもない。それでも、朝はやってくるんだ。だったら、もう私は悩まない。子どものことを守ってあげられるのは私だけなんだから。必ず守ってあげるからね。安心して生まれておいで」

 総合病院には5名の産婦人科医がおり、すべての医師と話す機会をもてた。胎児の発育遅延の原因については、すべての医師が現段階では原因を特定することはできないと口を揃えた。しかし、その中の一人の医師の言葉に励まされ、前を向く気持ちがより強くなった。

「染色体異常が原因の場合、妊娠初期から発育が緩やかなことが多いんですよ。あなたの場合は、32週目までは順調でした。今は栄養をとって、安静にして、少しでも赤ちゃんを大きくすること、それだけを考えてください。あなたはお母さんですよ」

 そう、私はお母さんなんだ。

 

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