みなさんのおかげで
保護者会の数日後、野島さんとランチをした。私が養護の宮本先生と面談の話をしていたことで、野島さんはとてもミツキの体を心配してくれていた。
私は極限られた人にしかミツキの現状について話したことがなかった。
それまで私が話した人とは、ミツキの小学校の担任の先生3人、小中学校のスクールカウンセラーの先生3人、中学校の先生4人、病院の先生2人、そらから、夫と夫の母。全部で14人だ。そのうち12人は、先生方なので、本気の相談窓口だ。
それ以外は夫と夫の母だけで、仲の良い友人や自分自身の両親にも話したことがなかった。
友人(ママ友を含む)には、話すつもりはなかった。ミツキが迷惑を掛けているのであれば、事情を話すところなのだが、特に迷惑はかけていないのだ。少し変わっている子だなとは思われていても、そのキャラが受入られていた。問題が生じていいないのに、わざわざ告げる必要はないと思った。また、間違った伝わり方でミツキの耳に入ることや、噂的に広がることを懸念していた。
私は、自分の両親にも話さなかった。本当は実父に話したかった。ミツキが幼いころから私と同じ目線でミツキを見ていたのは、唯一実父だけだったからだ。実父に話さたらどんなに心強かっただろう。しかし、実父は、ミツキが小学校に入学したころから体調を崩し始めたので、心配を掛けたくなかった。だから実母にも話さなかった。
夫は理解しようと努力をしているが、頼れる存在にはならなかった。夫の母は、私の心をいつも癒してくれた。私の愚痴を聞き続けてくれる、名カウンセラーだった。
ミツキが野島くんに話したことで、私も野島さんに話そうという気持ちになっていた。野島さんとはミツキの小学校に入学以来、特にレッドウィングスに入部してからずっと懇意にしてきたのだ。
食後のコーヒーを飲みながら、野島さんに話をした。小学1年生からミツキと野島くんはともに育ってきた。一緒にキャンプに行き、レッドウィングスに入部し、たくさんの時間を共有し、野島くんはミツキの心の支えだった。そんなミツキが、自分にADHDという診断がついてやり場のない気持ちになったときも、野島くんは支えてくれた。
「ミツキが、大地くんに検査を受けたことや診断名を話したらね、大地くんが『そうか、おまえもいろいろ大変だな。まあ、お互いがんばろうぜ』って言ったんだって」
「軽!」
「軽くていいんだよ。それがよかったんだよ」
野島さんは、話を聞きながら始終驚いていた。野島くんからは、何も聞かされていなかった。「中学に入ってから、大地は何も話さなくなった」と野島さんは言ったが、思春期というだけではないと思った。ミツキには、軽い口調で励ましながらも、正面から真摯受け止めて、心にしまっておいてくれたのだろう。
野島さんは、栄養療法を応援してくれて、月に1回ペースで続けている私たちのランチ会のメニューも小麦と乳製品フリーの店探しに付き合ってくれた。
また、野球部へ差入れの菓子類を選ぶときも、いつもミツキを気遣ってくれた。ミツキは栄養療法に納得しているから、みんなと同じものが配られても自分自身で選り分けるから心配無用と何度伝えても、気遣い続けてくれた。そのおかげで、私たち親子は約2年間苦労無く栄養療法を続けることができた。
もう1人、ミツキの食を支えてくれた人物がいた。ミツキたち野球部員が「野球部の母」と慕う、恭介ママだ。野球部の同級生5人はとても仲が良くて、その中の黒澤恭介くんの家に集まることが多かった。黒澤くんの家はとてもウェルカムな家庭で、居心地が良いのだそうだ。ときには恭介ママが料理を振る舞ってくれた。暗くなったらおいとまするようにとミツキに口酸っぱく忠告するも、図々しく甘えさせてもらっていた。
恭介ママに日頃のお礼とお詫びを伝えつつ「小麦と乳製品のアレルギーだと判明した」とだけ説明し、今後は遅くまでお邪魔しないようミツキに徹底させると伝えた。
しばらくは、時間に気を付けて帰宅していたが、ある日ご馳走になって帰宅した。恭介ママがミツキも食べられる食事をわざわざ作ってくれたのだった。その後も、ミツキの食事を気にかけてくれた。更に、バレンタインデーには、小麦不使用のお菓子も作ってくれたのだった。
ミツキの周りの人は、なんていい人ばかりなのだろうか。どうしてこんなにも良くしてくれるのだろうか。ときに親として、1人の人間として、感謝しかできない自分を情けなく感じるほどだった。
学校給食アレルギー除去食申請
春休み中から始めた栄養療法。2年生に進級して学校が始まると、給食のことが気になり始めた。家での栄養療法を続けられそうなので、学校給食も徹底しようと思った。
4月の半ばに、給食の除去食申請に必要な食品管理の書類を病院へ受け取りに行った。その際の問診で口内炎とニキビができにくくなったことを伝えると、医師が「これから成績が上がるよ」と言った。
食品管理の書類を学校に提出したのは、保護者会の日だった。保護者会後に養護の宮本先生と除去食申請の面談を予定していた。
保護者会開始直前、私が席に着いていると宮本先生が近づいてきて「保護者会終了後に保健室にいらしてくださいね」と耳打ちした。
私の隣に座っている野島くんのお母さんが「どうしたの? ミツキくんどうかしたの?」と、驚いている。
「大丈夫。今具合が悪いわけじゃないの。給食のことで先生にお願いがあってね。今日はこの後面談なんだ」
野島さんは、これぞ鳩が豆鉄砲食らった顏という表情をしながら首を傾げた。すでに校長先生が壇上に上がっており、辺りはシンとしている。私は「今度詳しく話すから、近いうちにランチ行こうよ」と小声で言った。
除去食申請のための面談とはかなり正式なものだったようで、保健室に行くと養護の宮本先生だけでなく、栄養士の先生、家庭科の先生、それから副校長先生までいた。宮本先生が進行役で、ミツキの除去食申請理由を述べた後、給食に関しては栄養士の先生の承諾、家庭科調理実習に関しては家庭科の先生の承諾、学校全体として副校長先生の承諾を得た。何か所もサインが必要で、除去食の申請が学校を巻き込む一大事なのだと実感し、改めて家庭での栄養療法の徹底を心に誓った。
初めは私と先生方だけの面談だったが、副校長先生が退室し、代わりにミツキが入ってきた。
「今、お母さんと給食の除去食について話をしました。今後葉野くんの給食は、除去食になります。例えばみんなのものにはチーズがかかっているけど、葉野くんのものにはチーズがないものが出てきます。また、パンのときは学校では出ないので、家から代替品を持って来てもらうようになります」
「はい。分かりました」
「家庭科の調理実習で小麦や乳製品を使う料理の場合、葉野くんは調理は出来るけど、試食は出来ないということになります」
「はい。大丈夫です」
「2年生では移動教室がありますね。移動教室でも給食と同じように除去食や代替食が出ます」
「はい」
「それから、秋の遠足のときは、全行程班行動です。お昼ご飯も班の友だちと考えて食べに行くことになるから、君はしっかり自分のことをみんなに伝えるんですよ」
「はい」
「例年、安く早く済まそうとファストフード店に入ることが多いから」
「あ、はい」
「まあ、葉野くんなら言えるよね」
「はい、たぶん大丈夫だと思います」
「では、お母さんも葉野くんも大変だと思いますが、良い方向に進むようにがんばりましょう」
口では簡単に除去食や代替食なんていうけれど、家庭を一歩出たら周りの人間の食をも巻き込む大変なことであり、簡単なことではないのだと改めて思った。
家庭でやる分には、料理を作る私が気を付ければ済む話だが、外に出たらいろいろな人の食の好みや、その瞬間に食べたいものだってある。家族でさえ店選びに頭を悩ませるので、外食自体しなくなった。コンビニに行くと、小麦と乳製品と添加物だらけで手に取れるものがない。一歩外に出たら、食の遭難者になってしまう。
そう考えると、いつまで続けられるのかと心配になった。周りをも巻き込むくらいならやめようと思うときが、遅かれ早かれ来るのではないかと思った。
ところが、中学を卒業するまでの2年間、最後まで続けることができた。それはひとえにミツキの周りの人たちのおかげだった。
2年の遠足では、ビビンバの店へ。3年の修学旅行では、わざわざグルテンフリーの店を探して入店した。どちらも班の仲間の提案だったそうだ。彼らの思いやりに感謝の想いでいっぱいだ。
私の大好物はビール
私の大好物はビールである。心底好きだ。体調不良と妊娠中と授乳中以外は、毎日欠かさずせっせと飲んできた。
でも、もう飲まない。なぜなら、ビールの原料は麦だから。ミツキの遅延型アレルギーが落ち着いて、栄養療法が必要なくなったらまた飲めるようになるさ。一生飲めないわけじゃないんだから、やるなら徹底してやってみようと思ったのだ。
とはいえ、アルコールフリーの生活はさみしい。ネット検索をしていたら、キリンの「のどごし生」は、原料が大豆たんぱくだと分かった。我が家では、ビールを飲むのは外食のときだけで、普段家で飲むのは、キリンの発泡酒「淡麗生」だった。「のどごし生」は第三のビールで発泡酒よりも安い。私はビール感が楽しめればそれでよかった。そこで、夫に相談すると、意外にも夫が難色を示した。
「第3のビールにするくらいなら、ビールにこだわらなくてもいいじゃん」
もうただただ驚きである。だが、考えてみれば夫は、私ほどビール派ではないのだ。夫はワインを提案してきた。夫婦で2種類のアルコールを飲み分ける贅沢は出来ない。しかも、ワインは高い。更に悪いことに、日頃ビールをグビグビ飲む私たちは、ワインをチビチビ飲むことはできず、1日1本開けてしまうだろう。これまでの我が家の1か月のアルコール代は、10,000円~12,000円だ。超えるわけにはいかない。それでなくても、小麦の代替品は高価で食費を圧迫することになるのだから。
そこで、私は梅酒を提案した。甘いのが難点だが、炭酸水で割ればシュワシュワ感が楽しめる。夫はストレートだ。チョーヤの「さらりとした梅酒」は約1,000円なので、月に6本消費したとしても、今までよりもアルコール代が安くなる。ときどき、どうしてもビール感を味わいたいときは「のどごし生」を飲めばいいのだ。
「別にママが小麦アレルギーな訳じゃないし、ミツキにビールは関係ないんだから、飲んだっていいんじゃない?」
ある日、夫が不思議そうに言った。だが、私はそのつもりはなかった。
ミツキは遅延型アレルギーであり、アナフィラキシーのような即効性のアレルギーではない。だから、重篤な症状もでない。でも、食べ続けるとよくない症状が出る。それでも、おいしいし好物だから食べたい気持ちは常にある。そんな環境の中で、我慢するのはしんどいと思うときもあるだろう。
特に、友だちと一緒のとき。みんなが食べているのに自分だけ我慢できるだろうか。ときには、周りに流されることもあるだろう。そして、ミツキは正直者なので、きっと私に食べたことを話すだろう。
もし、私もミツキと一緒にがんばっていたら、周りに流されてしまう気持ちや流されそうになってしまう気持ちを理解してあげられるに違いないと思ったのだ。子どもに一方的に約束を守らせたいのであれば、親はその約束を守ることの大変さを知っておくべきだと思った。そこを互いに共有していれば、仮にミツキがそれらを食べたと聞いても、「そういうときもあるよね。またこれからがんばろう」と言ってあげられる気がした。
小麦・乳製品フリー生活を始めて1年ほどたったある日、ミツキは友だちとディズニーシーへ行った。そのころのミツキは、この生活にすっかり慣れていた。それどころか、長年悩まされていたアレルギー性鼻炎がすっかりよくなり、ニキビ・肌荒れや口内炎といった症状も軽減されたおかげで、率先してこの生活を送っていた。
「ディズニーで何食べたらいいんだろう。小麦が入っているものばかりだと思うんだ」
ディズニーの公式サイトを調べてみると、ほとんどのレストランでアレルギー食を提供していることが分かった。
「うーん。でもさ、友だちと一緒に行動しているのに、なんか面倒だな」
「そうだね。確かにね。みんなアトラクションにたくさん乗りたいだろうから、ぐずぐず出来ないよね」
「それな。ていうか、レストランなんか入らないよ。並びながらなんか食べるな」
「じゃあ、ポップコーンとスモークターキーレッグを何本も食べればいいじゃん」
「それな!」
その1週間後、今度は私とリオがディズニーシーへ行った。リオがピザを食べたがったのでピザのあるレストランに入った。私の分はアレルギー除去食を頼もうとキャストに相談すると、アレルギー食担当がやって来た。担当者のタブレットでアレルギーの登録をしてメニューを選択した。ここまでで約10分経過。
「では、これからこちらのお料理を作ります。お時間20分ほどかかりますがよろしいでしょうか?」
となりに立っているリオが不満感を漂わせた。リオはさっさと食事を済ませてアトラクションに乗りたいのだ。私は諦めて断った。通常の列に並んでリオはピザを、私はドリアを頼んだ。その店は、ピザとスパゲティーとドリアの店だったので、1番小麦量が少なそうなドリアにしたのだ。
ミツキに「レストランでアレルギー除去食をちゃんと頼んで食べなさい」などと言わなくてよかったと思った。
一緒に体験してみないと分からないことはたくさんある。一緒に体験するからこそ分かることもある。
食について
私が子どものころ、家に買い置きのお菓子類はなかった。だから、おやつはお菓子でなく、蒸かしたジャガイモやトウモロコシ、みかんやバナナ、食パン、焼き餅だった。まれにお菓子の袋を見つけて喜んで見てみると大抵かりんとうで、少しがっかりした。友だちの家に遊びに行くといろいろなスナック菓子の入った籠があって、当時は羨ましかった。
しかし、おとなになってみれば間食など不要なもので、お菓子に執着しないことのすばらしさを実感している。
3度の食事も、インスタント食品が食卓に並ぶことは一切なかった。だからこそジャンクフードへの憧れが強かったが、実際食べてみるとおいしいと感じるのは2,3口だけで、次第に味の濃さに疲れてしまった。
料理上手な実母のおかげで、お菓子やジャンクフードに趣向が偏らなかったことに感謝している。
そんな私が母親となり、どんな食を家族に提供してきたか。ここが問題だ。
まずはおやつ。餅の買い置きと、おにぎりの作り置きをすることはあるが、それ以外はスナック菓子に頼っていた。なぜなら、その方が安上がりなのだ。
次に3度の食事について。朝と晩はしっかり作るが、お昼はスーパーのお弁当や冷凍食品、ときにはジャンクフードに頼ることが多かった。
ママ友のあきちゃんは、常に自然体であることに気を配っている人だ。3人の子どものうちの下2人は、自宅出産したツワモノ。お昼を挟んで子どもたちを連れて公園に遊びに行くとき、私はコンビニ弁当を買ってしまうが、あきちゃんは朝早くてもお弁当を作ってきた。
売っているお弁当の添加物が怖いのだという。話を聞いているときはなるほどと思うのだが、夕方家に帰るころには「そうは言っても、いきなり明日死ぬわけじゃないでしょ」という気になった。
だから、食品パッケージの裏に書かれた原材料の表示など1度も見たことがなかった。朝と晩はすべて手作りであるが、チューブの生姜とニンニクを使っていた。
そんな私も、食事療法を知って医食同源という言葉を痛感するようになった。以前の私は食に対して無頓着だったと反省した。自分は実母の手料理によって守られていた。私も子どもたちを私の手料理で守ってやらなければいけない。
3食すべて完全に手作り、生姜とニンニクもチューブをやめた。しっかりとパッケージの裏表示を確認し、カタカナの物質が書かれているものは棚に戻した。
お菓子類は、お煎餅に留めた。
始める前は、お昼も毎回手作りかと思うと面倒に感じたが、実際やってみるとむしろ今まで何を面倒に感じていたのだろうかと思うほど自然なことだった。
こうして、我が家の食改善は、順調に進んでいった。
ミツキはこの食生活に加え、病院で購入する自然由来の安全なサプリメントを摂取した。
サプリメントの種類は、「NBcompA」「ヘム6+」「ナイアシン150」「BB」の四種類。それぞれを朝夕2錠あるいは3錠ずつ摂取するので、全部で9錠だ。しかも、どれも粒がかなり大きい。
ミツキはそれを一気に喉に流し込むことができた。実は私は、錠剤を飲み込めない。よく噛まないと喉を通せない体質で、ヨーグルトでさえ喉に引っかかるほどだ。それを知っているミツキは、毎度得意げにサプリ飲み込み芸を私に披露してくるのだった。
半年後の血液検査の結果、数値上では良い方向に向かっていた。しかし、ミツキの精神面での変化はあまり感じなかったので、サプリ担当の看護士と相談して「BB」を止めて「uDHA」を追加した。「BB」も止めたくないが、代金が嵩むので仕方なかった。
更にこのとき、ミツキがくしゃみを連発して苦しそうだという話をすると「D3+5000」を勧められた。これは効果てき面で、アレルギー性鼻炎がすっかり影を潜めた。
その他にも口内炎とニキビに効果が出始めた。更に、以前のミツキの手の爪には、縦の線がたくさん入っていたが、いつの間にか線が消えて滑らかできれいな爪になっていた。月3万円の出費は痛かったが、こうして体質改善に効果が表れるとやりがいがあった。
見た目重視のティーンエイジャーだけにミツキは喜び、小麦と乳製品フリー生活とサプリ摂取という栄養療法の2本柱を難なく続けることができた。
これでミツキの集中力が上がり、向上心が芽生え、学力が向上するともっとうれしいのだが。最重要事項はなかなか思ったようにはいかないのだった。
小麦・乳製品フリー生活
小麦・乳製品フリーの生活をするにあたり、まず1番にすることは家族への説明と説得だった。ミツキの料理だけ除去食というのは、難しい。家族がパンやピザを食べているのにミツキだけおあずけなんてかわいそう過ぎる。私も通常食と除去食の2通りを作るのは大変だ。ここはひとつ家族一丸となって小麦・乳製品フリー生活に立ち向かうのが、長続きのコツだと思った。
私は言い出しっぺであり、ミツキは当事者だからやる気満々だ。しかし、夫とリオは、巻き込まれた感が拭えない。もちろん夫はかわいい息子のためと、それなりにやる気はある。もうひと押しやる気を起こさせるために、テニスプレーヤーのジョコビッチ選手がグルテンフリーをしてパーフォーマンスを驚異的に向上させた話をした。
「あのジョコがやっていたならオレもやる」
ものすごく食いついてきたので逆に驚いた。夫が夜な夜なテニス観戦を楽しんでいたことをこのとき初めて知った。
問題は、リオだった。リオは、ケーキ・パン・ピザに目がない。かなりの食いしん坊キャラなのだ。小麦と乳製品の食べ物の代替品を考えてリオを説得することにした。
【小麦・乳製品の食べ物】
パン ピザ スパゲティ うどん 蕎麦
ラーメン そうめん 冷や麦 お好み焼き
たこ焼き 餃子 春巻き 焼売 カレー
シチュー ビーフシチュー グラタン
天ぷら 唐揚げ フライ
ケーキ クッキー パンケーキ クレープ
お麩 麦茶 ビール グラノーラ 醤油
ポン酢 酢 チーズ 牛乳 ヨーグルト
食卓にあがる頻度の高いものばかりだ。たくさんあり過ぎて一瞬くらっとしたが、気を取り直してひとつずつ潰していく。
・ビールは、子どもたちには関係ない
・牛乳・ヨーグルトは、元々好まない
・お麩・グラノーラは、元々あまり食べない
・ケーキ・クッキーの類は除去。甘いものが食べたいとき
は、和菓子で代替
ちなみにミツキと私は、甘いものに執着がない。
・うどん、素麺、スパゲティ、ラーメン、焼きそばは、
除去
・蕎麦は十割ならばOK
・麺類が食べたいときは、フォーで代替
・スパゲティは、アルチェネロの「有機グルテンフリース
パゲティで代替
・餃子・春巻きは、トップバリュ「熊本県産米粉使用 餃
子の皮」「春巻きの皮」で代替
・カレー・シチュー・ビーフシチューは、市販のルーを使
わずに作る。クックパッドを参考にするとよい
・グラタンは、アルチェネロの「有機グルテンフリーマカ
ロニ」で代替
・ホワイトソースは、米粉と豆乳で作る。上にかけるチー
ズとカリカリのパン粉はなし
・天ぷら・唐揚げは、米粉で代替
・フライは、タイナイの「米粉パン粉」で代替
・焼売は、クックパッドで焼売の皮の代わりにキャベツを
使うアイデアを採用
・麦茶は、ほうじ茶か水で代替
・パンは、タイナイの「コシヒカリパン」かニッポンハム
の「米粉パン」で代替
・醤油は、イチビキの「小麦を使わない丸大豆しょうゆ」
で代替
・ポン酢は、にんべんの「小麦・大豆不使用四穀ポン酢で
代替
・酢は、穀物酢でなく米酢で代替
こうしてひとつずつ考えることにより、見通しが明るくなった。ジョコビッチや海外セレブのおかげで、グルテンフリー商品が増えつつあることもありがたい。家庭料理は、ほとんどの小麦料理が代替品でまかなえるのだ。
ただ1つ困ったのがチーズだった。チーズには代替品がない。よって、ピザも食べられない。ピザはみんなの大好物なので残念だ。そこで年に1度だけ、特別にミツキの誕生日だけ食べることにした。
しかし、このピザ問題、チーズだけでなく生地にも問題が生じる。ピザ生地の代替品を見つけられなかった。そこで、クックパッドを参考に米粉のピザ生地をいくつか試してみたが、どれもイマイチ。最終的には、米粉の餃子の皮を生地にしてクリスピーピザ風とし、コシヒカリパンでピザトーストにした。
家庭料理は完全に小麦・乳製品フリーの生活になるけれど、代替品が揃っているので今までの料理とかわらずに食べられることをリオに約束して安心させた。
また「パパと2人でお出かけのときは、好きなものを食べておいで」の一言でリオは十分納得し、協力を快諾した。
それにしても、小麦とはいろいろな料理に使われていたのだと改めて痛感した。
初めは米粉で代替できるのだろうかと不安だった。しかし、実際試してみると遜色ないどころか、たこ焼きと餃子に関しては、カリカリともちもち感が絶妙で小麦粉よりもおいしい。カレーとビーフシチューに関しては、本格料理に挑戦できて料理の腕が上がった。やってみたら、料理への意欲が増し、いい刺激になった。
なんでもチャレンジしてみるって楽しい!
栄養療法
2017年3月、ミツキが小麦と乳製品の遅延型アレルギーだと判明した。
そもそも小麦や乳製品の何がそんなに悪いのか。当たり前のように口にしてきたおいしい食べ物が、なぜ体に悪影響を及ぼすのかを知らない限りは、小麦・乳製品フリーの生活に挑めない気がした。まずは、よく知ることが大切だ。
【小麦】
・グルテンは、小麦粉に水を加えてこねるとでる、粘りと
弾力性のもと
・グルテンの中にはグリアジンというたんぱく質成分があ
る。これには、中毒性があり小麦食に依存してしまう
・グルテンは、麻薬様物質であるエンドルフィンと構造が
似ている。
・小麦には「アミロペクチンA」というデンプン質が含ま
れている。これは、他のデンプン質より体内でブドウ糖
になるのが早いため、血糖値を急上昇させて、脂肪とし
て蓄えやすい
・正常な人の場合、小腸の粘膜の細胞は適度につながって
いて、必要な栄養素だけを取り込み、不要な毒素や細菌
はブロックする。しかし、小腸の粘膜の機能が低下した
人の場合、緩んだ細胞間から未消化のグルテンの毒素が
脳内に入り脳アレルギーを引き起こす
【乳製品】
・カゼインは、麻薬様物質であるエンドルフィンと構造が
似ている。
・カゼインは牛乳中に約3%含まれ、牛乳に含まれる全タ
ンパク質の約80%を占める。
・カゼインを固めたものがチーズ。
・牛乳のカゼインは分解が難しい配列をしたアミノ酸の集
合体で粘り気があるため、そのまま腸に届くと腸の壁に
炎症を起こしてしまう。
・栄養分の体内吸収を妨げる
・栄養の吸収が不足すると無気力感が生じる
知れば知るほど食べるのが恐ろしくなる。何らかの原因によって傷ついた腸粘膜を、グルテンやカゼインといったたんぱく質が未消化のまま通過したのち、血液とともに血液脳関門をも通過し、脳内に入って脳に悪影響を及ぼす。腸粘膜の機能が低下すると「脳アレルギー」が起こる。だから、それを防ぐために、腸粘膜バリア機能を強化し、腸内環境を整える必要があるのだ。
理論は十分わかったが、パン・スパゲティ・うどん・そうめん・ラーメン・お好み焼きと、小麦で作る食べ物は、家族みんなが大好きな食べ物ばかりだ。目前に迫っている春休みの昼食に何を作ったらいいのかと途方に暮れてしまう。
ミツキの輝かしい未来のためだ。それに今がんばれば、いつかは傷ついた腸粘膜が修復され、少量なら食べられる日がくるかもしれない。がんばるぞ!
野球部顧問寺田先生
小麦と乳製品に遅延型アレルギーが判明し、まずは家庭の食事から除去食を試みつつ、サプリメントで栄養補給をする旨を養護の宮本先生に電話で伝えた。現段階では薬の服用の件を一旦保留にすることと、今後学校給食も除去食にするかもしれないことを付け加えた。
「分かりました。新しい方法で効果があるといいですね」
宮本先生は、私が栄養療法を推してくることを予想していたようだった。
「すみませんが、野球部の寺田先生は今いらっしゃいますか?このところ部活を休んで病院へ行くことが多かったので、心配してくださっているようなので」
ちょうど部活が終わったところで、寺田先生とも話すことができた。
野球部顧問の寺田先生は英語の先生で、3年生の担任を受け持っている。真偽は定かでないが、千葉県木更津市出身の元ヤンだそうだ。なかなかのイケメンで、普段は物腰が柔らかいが、部活が始まると熱血監督に豹変するらしい。
私は野球部の保護者会での様子しか知らないので信じられないのだが、「邪魔だ。どけ。うせろ。消えろ。死ね」が口癖らしく、ミツキがよく真似をしている。このセリフだけ切り取ると、今どきはパワハラで訴えられそうだが、部員はみんな寺田先生を慕っている。
部活中に怒鳴ることはあっても、部活が終わるとすぐに気持ちが切り替わるようで、部活終了後はみんなで和気あいあいになるのだそうだ。引きずらないところが、寺田先生のいいところなのだろう。
小学生時代は大人に怒鳴られることなどなかったので、部活に入部したてのころのミツキは、寺田先生を恐れて嫌っていた。しかし、毎日の練習の中で寺田先生の人柄や熱心さが伝わり、最も信頼できる存在となっていったのだ。
「寺田先生、いつもミツキがお世話になっております。このところ病院の検査で部活をお休みして申し訳ありません。実は検査の結果、ミツキは軽度の発達障害だと判りました。
注意欠陥多動性障害とのことで、苦手なことが多く、集中力も続きません。皆さんにご迷惑をお掛けすることも多々あると思いますが、今後ともよろしくお願いします」
「そうですか。でも、今まで部活中に特に気になったことはないですね。上級生にもかわいがられていますし、同級生とも非常に仲がいいですよ。ああ、そうですか」
「みんないい人ばかりなので、いつも助けてくれるからです。ありがとうございます」
「そうですね。確かにみんないい子ばかりです。で、私の方で指導の上で気を付けた方がいいこととかってありますか?」
私は、寺田先生のこの言葉にとても驚き、言葉が出てこなかった。先生にお願いしたいことなど、まったく頭になかった。野球というチームプレーの中で、迷惑を掛けてしまうことがあるかもしれないという申し訳なさしかなかったのだ。こんな言葉を掛けてもらえるとは思ってもいなかったのだ。驚くと同時にうれしかった。
「先生、ありがとうございます。他のお子さんと同じ指導で大丈夫です。ただ、病院の先生によると、他のお子さんより、できるようになるまでに時間がかかるとは言われました」
「なるほど。分かりました」
寺田先生の気遣いに感謝。ミツキは本当に人に恵まれている。