遅延型アレルギー検査結果
病院の予約は3時半だった。野球部の練習は、朝から遠くの球場でやるので休むことにした。採血のため、午前7時までに朝食を済ませて病院へ向かう。
この日は、医師と顔合わせ程度の簡単な問診のあと、基本の血液検査とIgGアレルギー検査をした。保険はきかないので、なんと総額37,380円。高い。
IgGアレルギー検査は日本では出来ない。ミツキ自身は日本から出たことがないというのに、体より先に血液がアメリカへと旅立った。
1か月後検査結果となって帰国した。
血液検査解析結果表によると、検査項目は全部で60項目あった。そのうち、分子総合栄養医学的見地により注意度が重度領域にあたるのもが、
アルカリフォスターゼ 無機リン A/G 中性脂肪
8項目もあった。基準値と照らし合わせてみると、例えば、フェリチンの基準値は、18.6~261ng/mlとなっている。ミツキは65ng/mlなので、最低値よりは高いが、最高値よりはかなり低い値となっていた。フェリチンの値は100ng/ml以上が理想なので、それに比べるとかなり低い。他の項目に関しても同様で、基準値の範囲内ではあるものの、基準値の最高値よりかなり低かった。
この血液検査の結果から栄養解析がされ、ミツキにとって大切な栄養素として以下の7つがあがった。
ビタミンB1 ビタミンB6 鉄 ビタミンB3
ビタミンC レチノール グルタミン
次にアルテス・メディカルラボという会社に検査依頼した遅延型アレルギーの結果だ。全部で96品目。10品類に分類されていた。ミツキはそのうちの「乳製品」「穀類」
「デンプン」の項目に遅延型アレルギーの食品があると分かった。
「乳製品と小麦を除去した食事に切り替えて、サプリメントを飲んでみてください。給食は仕方ないけど、まずは家庭の食事から。もうすぐ春休みだから、春休みはがんばって徹底してみてください。体調が変わってくると思いますから。
もし、来学期から給食をアレルギー食にするのであれば、診断書を出しますから言ってくださいね。では、このあとサプリメントの説明があります。一旦待合室でお待ちください」
この病院は保険治療を行う一般的な病院とは違い、栄養療法を専門に行っている病院なので、医療器具が採血室以外は見当たらない。診察室には、大きな机にパソコンが1台置かれているだけだ。
医師以外に看護士も診察室に1人いるが、看護士専用の席に座っていて、医師と患者の話を書き留めているのか、別の仕事をしているかよくわからない。パソコンがなければ、刑事ドラマでよく見る取調室が豪華になった感じだ。不思議な病院だが、はっきりと検査結果が数値に表れているのだから、しっかりと指示に従おうと思った。
しばらくして、サプリメントの説明と購入のための部屋に通された。机の上には、すでにミツキ専用のサプリメントレポートという冊子が置かれていた。ミツキにとって必要な栄養素7つを摂取するために必要なサプリメントは、全部で6種類もあった。月に5万円以上かかる。しっかりと指示に従おうと思ったばかりであるが、月5万円は無理だ。
「この6種類は至適量で、ミツキくんに最適な栄養素の量になります」
「いやあ、これって約1か月の量ですよね。月5万円は、続けられません」
「分かりました。特に重要なのがこの4種類です。この4種類の1日の量も少し減らすと3万円になりますが、いかがでしょうか?」
病院での検査結果と勧められたサプリの内容をもとに市販のサプリを購入する手も考えたが、やはり天然物由来のものの方が安心できる。高いが想定内の金額だと納得した。
これからは、食事を乳製品と小麦の除去食とし、サプリメントを『NBcompA』朝夕2錠 『ヘム鉄6+』朝夕2錠『ナイアシン150』朝夕3錠、『BB』朝夕2錠を摂取する生活となる。
ミツキの栄養療法生活が始まった。
学校に報告
ミツキに告知した2日後、検査結果を報告するために、担任の持田先生と養護の宮本先生との面談をお願いしていた。学校に着くと宮本先生が出迎えてくれた。
「今日はちょうどスクールカウンセラーの北川先生がいる日なんですが、北川先生も一緒にお話を聞かせてもらってもいいですか?」
中学校には2人のスクールカウンセラーがいて、私がいつもお世話になっている山崎先生は、毎月第3火曜日のみの担当で、北川先生は毎週金曜日の担当だった。北川先生に会うのは初めてだった。栄養療法についても話したかったので、北川先生に一緒に聞いてもらえるのは好都合だった。
相談室で担任の持田先生、養護の宮本先生、スクールカウンセラーの北川先生と私の面談が始まった。北川先生は、セミロングのサラサラヘアでふんわりした優しい感じ女性だった。持田先生と宮本先生と私はおそらく同世代で、北川先生は少し若い感じがした。
病院の診断結果表をもとに説明をした。とても和やかに話は進み、ほとんど女子会の雰囲気だった。
「脚が悪い人に走れと言っても無理がある。脚が悪い人は車椅子で移動すると、病院の先生が例えたときは、出来ないことは出来ないと突きつけられたようで、けっこうショックでした」というと、先生たちも辛そうな表情をした。
「個人差があるから出来ること出来ないことって、周りが決めつけてはいけないですよね。この学校の全員の先生にもこの言葉を聞いてもらいたいですね。難しい課題を与えすぎるのはどうかと思いますよ。それぞれの子どもを見て、いろいろな段階にわけて、子どもたちの負担を緩和してあげたいものですね」
養護の宮本先生は、養護教諭として全生徒の心のケアを日頃から考えていてくれているのだなと、うれしく思った。
診断結果を伝え終えたところで持田先生は授業に戻り、残りの3人で今後の方針の話になった。
「薬の服用については、副作用が心配であまり気が進まないんです。生徒さんで服用している子はいますか?」
「いますよ」と宮本先生。「食欲不振はなかったようだけど、効かないって言ってやめていましたね」
「そうですね。比較的、やめる子が多いかもしれないですね。でも、効果のある子もいました」と北川先生。
「やってみないと分からないから。だったら中学在学中は、医療費無料だから試してみてはどうですか?薬代も結構高いから」
宮本先生の言うことも一理ある。
「実はいろいろ調べまして、栄養療法というものを見つけたのですが、ご存知ですか?」
宮本先生は、首を傾げた。
「あ、私、ちょうど1週間ほど前にその相談を受けまして、タイムリーな話です」
「北川先生ご存知ですか?栄養療法をどう思いますか?」
「私も知ったばかりで詳しくはありませんが、興味は持ちました。でも、まだあまり知られていないし、症例も少ないから、どれほどの効果があるかはわからないですよね」
「薬か栄養療法でサプリかという2択だとどう思いますか?」
「栄養療法は、分からないです。薬は、あまりお勧めはしたくない。というところです」
「分かりました。とても参考になりました。これだけ散々質問しておきながらなんなのですが、実は明日、その病院に検査の予約を取ってみたんです。ミツキに遅延型アレルギーになっている食品があるかだけでも知っておいてもいいかなと思いまして」
「葉野さん、段取りいいですね」と宮本先生。
「私、思い立ったが吉日派なんです」
遅延型アレルギー検査の結果次第では、給食をアレルギー食に変更する必要があった。学校給食は、柔軟な対応が可能と聞いて、更に栄養療法への気持ちが強くなった。
気が付くと2時間近く経っていた。
「山崎先生にも報告しますか?予約取っておきますよ」と宮本先生が言うのでお願いした。
「では、28日火曜日、10時から11時の1時間で取りますね」
心なしか「1時間」の語気が強かったように感じた。2時間は迷惑だったに違いない。しゃべりすぎた。私もミツキのことを言えないなと反省した。
クスリかサプリか
ADHDの治療として薬を服用することに、私はどうしても気が進まなかった。
気が進まない理由は、2つ。1つは、副作用だ。副作用は、頭痛・吐き気・食欲不振。特に食欲不振が心配だった。中学1年生で156センチのミツキ。少しでも身長を伸ばすために、食欲不振は避けたかった。
もうひとつは、服用期間だ。薬が効いているときは頭がすっきりしても、薬が切れるとぼんやりするのであれば、手放せなくなるのではないか。スクールカウンセラーの山崎先生は、ひとまず高校受験まで服用してみてはどうかと勧めたが、本当に止められるのだろうか。
ADHDの薬を飲んでいる人のブログをいくつか読んだ。食欲不振で10キロ痩せた人。体に合わなくて止めた人。薬が効いているときは劇的に頭がすっきりするが、切れるとぼんやりする人。副作用も薬の効果もなかった人。止めどきが分からなく困っている人。ブログを書いている人だけでも、効果はまちまちだった。
そして、ブログを読んでいて感じたことがある。それはそれらの人が、ミツキ以上に日常生活に支障をきたしていることだ。
毎朝親が起こすと寝たまま暴れ、しっかり目覚めたころには自分が暴れたことを覚えていない中学生男子。学校でいじめにあっている小中学生。仕事の段取りが壊滅的な社会人など。本人やその周りの人が泣きたいくらいに辛い状況にある人ばかりだった。
ミツキは、どうだろう。まず、ミツキ自身はまったく困っていない。友だちはミツキを変わっているおもしろいヤツと思っている。先生はやや困っている。私はミツキの行動に困った点は多々あるが、泣くほどではない。だが、壊滅的な成績を何とかしてほしいとは思っている。つまり、心配なのは成績のことだけだ。
そう考えると、逆に成績だけのことと思えてくる。勉強は大切だけど、成績を上げるために薬を飲んで、ミツキのいいところを失くしてしまうことの方が問題だ。
また、ある記事でADHDの薬の歴史は浅く、服用した患者の数十年後のデータがないというのを目にした。つまり、現在服用中で、薬の効果を感じている人であっても、数十年後がいかなるものか分からないということだ。
私が初めてミツキを他の子どもと違うと感じたのは、ミツキが1歳半、2005年のことだ。その頃は、ネットも書籍も発達障害についてのものは、少なかった。小学校低学年のころは、グレーゾーンと検索してもヒットしなかった。今でこそテレビでも取り上げられ、社会に浸透し始めたが、それまでは認知度は低かった。ということは、薬のデータは確かに十分とは言えないだろう。
薬以外に何かいい方法はないのか。私は毎日ネット検索をした。
ある日、同じ口にするなら薬ではなく、食べ物で何とかならないかと思った。例えば、アレルギー性鼻炎には、ヨーグルトや甜茶が効くとか。ビタミンDもいいらしい。そのようにADHDの症状を抑えてくれる食べ物はないだろうかと思った。早速、『食べ物』『栄養』などさまざまなキーワードで検索した。
今では『栄養療法』が浸透してきて、ネットには溢れるほど情報があり、書店でも多くの関連書籍が売られているが、2016年当時は、あまり情報がなかった。あれこれ検索しているうちに『キレる・多動・不登校 子どもの困ったは食事でよくなる(溝口徹著)』に辿り着いた。
この本の表紙には『その困ったは発達障害、ADHDではなかった!身近な食べ物が心のトラブルを引き起こす『脳アレルギーとは』と書かれている。『脳アレルギー』とはなんだろうと興味をもった。
『脳アレルギー』は、いわゆる食物アレルギーや花粉症・アトピー性皮膚炎などに関係するアレルギーとはタイプも症状も異なるもので、その特徴は、イライラや多動・不安感といった精神症状を伴う。心をつくっている脳内神経伝達物質であるセルトニンの不足により、脳の栄養不足となり、心の不調和を招いているのだ。
この脳アレルギーを治すために『遅延型アレルギー』に注目している。一般に私たちが認識しているアレルギーは『IgE』と呼ばれるタイプのもので、症状が出やすく容易に判定できる。それに対して、症状の出にくいタイプの『IgG』『IgA』と呼ばれるものがあり、それが遅延型アレルギーだ。
例えば、乳製品や小麦類の遅延型アレルギーであれば、それらの摂取を控え、必要な栄養素をサプリメントで補えば脳アレルギーを抑えることができるのだ。
私は、薬ではなくサプリメントに懸けようと思った。
検査結果告知③
「いつ、落ち着くの?」
大人になると症状が落ち着くと話すと、ミツキは前のめりになった。
「うーん。わからない」
「17、18歳で良くなるわけじゃないの?」
「徐々に落ちついて、そのうちあまり気にならなくなるって感じだと思うの。でね、こういう結果がでていると、少しのがんばりでは、うまくいかないと感じることが多いと思うの。症状が落ち着いて振り返ったときには、成功体験に乏しいことが多い」
「うーん」
「では、成功体験を増やすにはどうしたらいいのか。小児神経科の先生は、薬の服用を勧めている。中学の養護の先生やスクールカウンセラーの先生にも勧められたの。」
「く、す、り」
「ミツキは、字をマスや行内に形を整えて書くのが苦手だよね。それもADHDの症状の一つなの。薬を飲んだら落ち着いてきれいに書けるようになる。例えば、アレルギー性鼻炎で、症状を抑えてくれる薬を飲むでしょう? そんな感じで、ADHDの症状を抑えてくれる薬があるの。ただね、すごく強いみたい。だから、副作用が出る場合があるの。出ない人もいる。飲んでみないと分からない」
「副作用ってどんな? 」
「頭痛・吐き気・食欲不振」
「ふふふ」
「いやだよね? 」
「うーん、けど・・・」
「食欲不振で痩せる人もいる」
「どのくらい減るの?」
「それも分からない。人によるから。やってみないことには。私が心配なのは、もし食欲不振になったとき、成長期の妨げにならないかということなんだ」
「えー、じゃあ、薬は嫌だ」
ミツキは、156センチと小柄なのだ。中学生での残りの2年間に懸けたいだろう。
「実はね、ママも正直なところ、薬には抵抗があるんだ。それで、ここ1か月でいろいろ調べて行き着いたのがこれ」
私は、『キレる・多動・不登校 子どもの困ったは食事でよくなる(溝口徹著)』という本を取り出した。
「この本は、栄養療法で多動とかをよくするという趣旨の本なんだ。栄養療法をやっている病院に行ってみない?」
突然の話の展開に、ミツキは戸惑いを隠せない。
「もちろん、病院へ行く前に、養護の先生とスクールカウンセラーの先生に話してみようとは思ってはいるけど、先生たちは知らないかも。日本では、あまり知られていないようなんだ。アメリカやドイツでは、進んでいるらしい。だから、日本の病院で採血するけど、血液をアメリカに送って調べてもらうんだって。その結果、何らかの食べ物がアレルギーを引き起こしていたら、その食べ物を摂取しないようにして、薬ではなくて、サプリメントで栄養補給をすることになるらしい。もしかしたら、小麦を除去するかもしれないから、その場合は、パンとかパスタとか食べられなくなるかもしれない」
「えー! パン? それは辛い」
「うん。でも、代替食品は何かあると思う。縛りがあって辛いかもしれないけど、薬を飲むよりは確実に安心だよね。効果の方は、薬と一緒で、やってみないと分からないけどね」
「うーん。疲れた」
「そうだね。疲れたね。全部伝えたから、ひとまず終わりにしよう。先生たちにも相談してみるね。ミツキもどうしたいか考えてみてね」
ミツキにとってこの告知は、青天の霹靂だったに違いない。相当疲れたようだ。床にごろんと横になり、静かに目をつぶった。
文句の1つも言わずに、ただ淡々と受け入れたミツキ。心の内を知りたかった。
その後部活の時間になり、何事もなかったようにミツキは学校へ出かけた。
部活が終わり、帰宅したミツキは、すがすがしい表情をしていた。そして、私が予想だにしなかったことを口にした。
「ノジに全部話したぜ」
「え? お友だちに話したの? 」
「ノジには話しておいた方がいいと思って」
「あ、そう。ノジは、なんて?」
「おまえもなんだか大変だな。まあ、お互いがんばろうぜ、だって」
「そう。ノジ、いい子だね」
「そうだよ。ノジはいい子だよ」
私は、学校の先生やカウンセラーの先生以外には誰にもミツキのことを相談したことがなかった。ミツキの耳に間違った伝わり方をすることを避けたかったからだ。
ミツキも誰にも言わないと思っていたので、耳を疑った。ひとりではで抱えきれなくて、野島くんに話したのだろう。野島くんらしい返答が、ミツキの心を癒してくれたに違いない。
検査結果告知②
テーブルの上に病院でもらった検査結果の紙を置いていた。成績の話には興味がないようで、ミツキは話しを強引にすり替えた。
「ちょっと、紙を見せて」
私はミツキの興味に合わせて、検査結果用紙に沿って説明することにした。
「IQの総合の数値は、正常が80あるいは、85以上なのね。だから、ミツキは正常だよ。ただし、クラスにいる定型の子たちは、IQが100あるの。そうなるとミツキは、30人中で考えると、25位か29位になるの。これは学校の成績ではないの。何か初めてのことを一斉に始めた場合、25位か29位ってこと。生まれ持った素質を計ったものがIQなのね。IQは成績ではなくて、その人の素質を見ているの。例えば、鉛筆を持ったことのない人に、この文字を書きなさいって言ったとき、見よう見まねで出来ちゃう人っているよね」
「うん、いる、いる」
「そういうすぐ出来ちゃう人は、IQ、素質が高いってことなの。だからと言って、ミツキは、初めは『あ』って書けなかったけど、練習したら書けるようになったよね。ゆっくりミツキのやり方でやれば、決して劣ることはないってことなの。だから気にすることはない。努力すれば必ず出来るから。逆に言えは、努力をたくさんする必要があるということなの」
「オレって今何歳だっけ?」
努力という言葉に拒否反応を示し、話しをそらした。
「13歳」
「だよな。それなのにこれ、11歳とか10才とか。随分前だな」
「だから、IQは素質だって。IQだけで考えないの。努力すれば大丈夫。素質だよ。これは何もしなかった場合の話。出来ないわけじゃない。それに、ミツキは、みんなに愛されてるじゃん。いつもみんなが味方して、手助けしてくれるじゃん。そういうのをしっかり味方に付けて感謝してやっていかないとね」
「うん、まあ」
「ミツキは、そういう素質。障害なんて大層な名前付いているけど、障害でもなんでもない。そういう素質の人だということなの。だから気にすることはない。ショックを受けなくてもいい」
だいぶゴリ押しに説明してきたが、自分でも無理があると思った。
「でも、ショック受けないなんて無理かな? やっぱり、ショックだよね?」
「うん」
「そうだよね・・・」
「うん・・・」
これ以上言葉が出てこない。
「多動や衝動って、大人になると落ち着くんだって」慌てて取り繕う。
「ちょっとだろ」
「ちょっとかもね。それで、多動や衝動が落ち着いたころには、ミツキは心に傷を負っているかもしれない。
なぜかというと、これから自信を失くすことが増えてきてしまうかもしれないから。だから、早めに手を打つ必要がある。
診断結果の説明はここまでで、次はどうやってこれからのミツキの人生に備えましょうかという話をするね」
検査結果告知①
知能検査の結果の翌日は水曜日で、ミツキは4時間授業だった。一時帰宅後、部活に出掛けるまでに1時間半ほど時間があるので、検査結果を告げる約束をしていた。前日から気になっていたようで、帰宅後、手を洗うとすぐにリビングにやってきた。
「じゃあ、病院での結果を話すね。まず、血液検査や尿検査などの検査に関してなんだけど。まったく問題はないって。ひとつだけセルロプラスミンの数値が基準値より低いって言ってたけど、特に問題ではないって。続いて、知能検査の結果ね」
一瞬、ミツキの表情に緊張が走る。私も告知する覚悟を決めた。2人で顔を見合わせ、意味のない笑い声をあげた。
「なに?」ミツキがじれた。
「結論から言うとね。学習障害気味だった。なぜそうなっているのか。それを引き起こしているのがADHD。注意欠陥多動性障害だって」
「ふふふ。なげーな」
「検査の結果はそういうことだった。でね、障害って名前に付いているから、えーって思うんじゃない?」
「うん」小さく頷く。
「でもね、これは、あくまでも体質なの。大多数の人を定型というんだけど、そういう定型の人たちと同じ生活は出来るでしょう。じゃあ、何が難しいのか。それは、みんなよりもちょっと遅いってことになるの。例えば、みんな一斉に『さあ、やりなさい』って同じ課題を与えられたときに要領よく、パパッと出来る人・・・」
「ああ、できない、できない」ミツキは、民謡の合いの手のように言った。
「中ぐらいの人もいれば、一番最後になる人もいる。その正常の範囲で、ミツキはゆっくりな人だよってことなの。こういうのを総合して、発達障害っていうんだけど。この「障害」って名前に付くのはよくないから変えようなんて意見もあるようだよ。だから、障害って言葉は除いて考えてね。
発達がゆっくり、素早くできないっていう括りの中でも、ミツキは限りなく定型の人たちに近い、境界値にいるの。いわゆる、グレーゾーン」
「グレーゾーン」ミツキがおどけて、声色を使って繰り返す。
「だから、周りから『こいつちょっと変わってるけど、おもしろいヤツだし、いいヤツだよな』と捉える人もいれば『こいつグズグズしやがって』捉える人もいる。そういうのがグレーゾーンなんだよ。みんなと同じことやれと言われたら出来るけど、ただちょっとゆっくりなだけ。逆に言うと、時間をかけて努力したら出来るってことなの。
時々さ、ママがミツキに強めに文句言うと『オレは出来ないんだよ』って言うよね。今度からママはこう言い返すよ。『はい、分かりました。素早くは出来ないんだね。じゃあ、ゆっくりじっくりやっていこうよ』そういえばいいってことだよね」
「ふふふ。まあそうだね」
「それから、なぜ成績不振なのかってことなんだけど、集中力がないよね。不注意、衝動性、多動。
ゴミ箱にゴミをちゃんと入れてって言っても、いつもゴミ箱からはみ出しちゃう。洗顔のときは、下がビショビショ。そういうところが、不注意だよね。
パッと思いつきで取って、ビリってやっちゃう。そういうところが、衝動性だよね。
なんかめっちゃ無意味な、謎の儀式して動いているよね。そういうところが、多動。こういうのがあるから、集中しにくくて成績不振なんだよ」
ミツキは、テーブルの上の検査結果の用紙に目を落とした。
知能検査の結果
12月下旬、冬休みに入ってすぐに知能検査を受け、1月下旬に結果が出た。結果は、私1人で聞きに行った。
まずは、体の検査結果からで、どれも問題はなかった。続いて知能検査の結果だ。
「知能検査ってどういうものか知ってる?」
「はい、何となくは。小学2年生のときに1度受けているので」
「そうなの。その時はなんて言われたの?」
「そのときは、検査結果の表の見方の説明を受けただけで、診断はもらわなかったんです」
「どんな説明を受けたの?」
「うーん。それぞれの検査の結果にバラつきがあるとか。グレーゾーン・・・」
「え! バラつきがあるって言われたの? グレーゾーンて言われたの? どっちなの? 」
私は、また始まったとうんざりした。そこ、そんなに大事なのか? 両方言われた気がするけど、面倒なので、バラつきを選択。
「バラつきですかね」
「うーん、なるほど」
担当医は、急におとなしくなった。どうもこの人は、曖昧な返事が嫌いなようだ。次からの質問には、わかりません、教えてくださいという姿勢で対応しようと思った。
検査結果は以下の通りだった。
- 「全検査値」の数値は正常値だった。
- 正常値というのは、80もしくは85以上とされている。正常ではない数値は、75以下とされている。
- ミツキの数値は正常を80と捉えれば「余裕がある」
85以上と捉えると「ギリギリ」
この評価域をグレーゾーンという。 - ちなみに、この正常値。
「正常」とは言うものの「普通」ではない。
「普通は100」 - 正常値が85の場合で考えると、1クラス30人として、普通(100)の人ばかりの中に入ったとき、30人中25位くらいになる。
- 正常値が80の場合で考えると、1クラス30人として、普通(100)の人ばかりの中に入ったとき、30人中29位くらいになる。
- これは実際の成績ではない。
「成績」ではなく「素質」のことを指している。 - IQとは、「成績」ではなくて「素質」のこと
どれだけがんばる必要があるかの度合いをみている。 - 努力をすればこの順位はあがる
普通にしていたら順位は下の方
何も努力をしなければ、更に順位が下がる
【例】IQが普通(100)の人の場合
素質が30人中15位でも、努力をしなければ実際
の成績は25位とかビリの人だっている。 - 知能検査の重要なポイントとして、言語理解と知覚処理がある。
ミツキの場合、言語理解はとても数値が高い。 - 知覚処理は、とても数値が低い。
国語的な学習は得意だが、見て理解する図形など数学的なものは弱い。 - この数値が離れているので「学習障害」の傾向にある。出来るものは、5とか4になるが、出来ないものは、1とか2になる。学習で得手不得手が極端になる。「でこぼこ」や「バラつき」と言われた所以だ。
- 得手不得手の数値の差が、10くらいであればなんとかなるが、30以上違うとやってもできないことになる。
- 足が悪い人に走れと言っても無理がある。脚が悪い人は車椅子で移動する。
物を使って成果を上げることが望ましい。無理をして歩く練習をしてやらせるというのは難しい。
補助を使って苦手をフォローし、得意分野を伸ばす。 - ある程度の範囲なら努力で乗り越えるが、やはり特別な方法が必要になる。
- 知能は考える力だけでなくて、元になる力が必要で、それが「ワーキングメモリー」である。
記憶力のことで、考える力があっても記憶しなければ意味がない。
ミツキの場合、この数値が低い。
処理速度は、ギリギリの数値。 - 【ミツキ数値まとめ】
言語理解指標は実年齢より高く、15歳強。
知覚推理指標とワーキングメモリー指標は低く、10歳強。
処理速度指標はギリギリで、11歳弱。
平均をとると言語理解指標以外の低い数値の方が主となり、学習障害と言える。 - 知能テストを受ける前に、担任の持田先生と私は、ミツキの生活態度に関するアンケートに答えていた。
18項目の質問があり、各質問に「ない」「ときどきある」「しばしばある」「非常にある」の中から答える。質問の内容は、「適度にしゃべる」「気が散りやすい」などだ。
持田先生の結果は、私のものに比べると、困っている点が多いという結果となった。私は長年の慣れもあるのだろう。
このアンケートの結果も合わせると、ミツキの学習障害は、ADHD(注意欠陥多動性障害)によってワーキングメモリーや処理速度が下がっている可能性がある。 - つまり、ADHDの治療をすれば、全体の数値が上がる可能性がある。
担当医の説明はとても詳しく、しっかりと理解できた。
「結果はこの通りなので、ここからは、お母さんや本人の判断になります。今ここで決めなくて大丈夫なので、今日は聞きたいことがあったら何でも聞いて、家に帰ってよく考えてみてください。もし、薬の服用をするのであれば、また予約を取って来てください」
「ADHDの症状は、大人になると少し和らぐということはありますか?」
「不注意と集中力は、よくなります。けれど、子どものころには成功体験が少ないということになる」
人間形成に大事な子ども時代に成功体験が少ないと、自己肯定感が育たなくなる。だから、薬の服用で不注意を抑えて集中できるようにして、ものごとがスムーズに進む手助けをする。
薬の服用は、脚の悪い人が車椅子を使って移動をスムーズにすることと同じようなものだと、先生は言う。無理をして歩く練習をすることで自己肯定感を損ねるのではなく、車椅子を使ってスムーズに進むことの方が成功体験を得られるのだと理解した。
高校受験を控えている今、どうするべきなのかじっくりと考える必要があった。